Item type |
紀要論文(ELS) / Departmental Bulletin Paper(1) |
公開日 |
2003-12-31 |
タイトル |
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タイトル |
マックス・リューティのメールヒェンの様式概念(西昭夫先生退職記念号) |
タイトル |
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タイトル |
Die Begriffe des Marchenstils von Max Luthi(In Commemoration of Retirement of Professor Akio Nishi) |
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言語 |
en |
言語 |
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言語 |
jpn |
資源タイプ |
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資源タイプ識別子 |
http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 |
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資源タイプ |
departmental bulletin paper |
ページ属性 |
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内容記述タイプ |
Other |
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内容記述 |
P(論文) |
記事種別(日) |
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論説 |
記事種別(英) |
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en |
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Article |
著者名(日) |
塩谷, 透
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著者名よみ |
シオタニ, フミオ
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著者名(英) |
SHIOTANI, Fumio
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著者所属(日) |
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千葉商科大学ドイツ文学 |
抄録(日) |
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内容記述タイプ |
Other |
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内容記述 |
リューティはフォルクス・メールヒェンの独自性は個々のモティーフにではなく,それが語られる様式にあるとして,その様式の特性を表す様々な概念を提唱した。それによって彼が目指したのは,他の口承文芸のジャンルとの相違を,語りの様式を通して明確にすることであったが,同時に,一定の様式を持つものとしてメールヒェンを文学の一つのジャンルとして認知させることでもあった。その際,彼はヴォリンガーの抽象芸術についての理論に依拠した。ヴォリンガーは未発達なものと評価されていたエジプトの美術などを抽象衝動という観点から解釈し,稚拙と思われることが一つの様式の必然的な結果であり,ギリシアやルネッサンスの美術とは異なった基準で評価されねばならないと論じた。この美学は,同様の評価の下に置かれていたメールヒェンに対して,小説などに対するのとは異なる評価と理解の基準を構築することに努めていたリューティにとっても有効なものだったのである。 |
雑誌書誌ID |
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収録物識別子タイプ |
NCID |
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収録物識別子 |
AN00142578 |
書誌情報 |
千葉商大紀要
巻 41,
号 3,
p. 103-124,
発行日 2003-12-31
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