Item type |
紀要論文(ELS) / Departmental Bulletin Paper(1) |
公開日 |
2004-12-31 |
タイトル |
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タイトル |
グリムの『子供と家庭のメールヒェン集』の結末句について(奥田俊介先生、高木道信先生、高橋正先生退職記念号) |
タイトル |
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タイトル |
Uber die Schlussformel in "die Kinder- und Hausmarchen" der Briider Grimm(In Commemoration of the Retirement of Professor Shunsuke Okuda, Michinobu Takagi and Tadashi Takahashi) |
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言語 |
en |
言語 |
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言語 |
jpn |
資源タイプ |
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資源タイプ識別子 |
http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 |
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資源タイプ |
departmental bulletin paper |
ページ属性 |
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内容記述タイプ |
Other |
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内容記述 |
P(論文) |
記事種別(日) |
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論説 |
記事種別(英) |
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en |
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Article |
著者名(日) |
塩谷, 透
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著者名よみ |
シオタニ, トオル
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著者名(英) |
SHIOTANI, Toru
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著者所属(日) |
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千葉商科大学ドイツ文学 |
抄録(日) |
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内容記述タイプ |
Other |
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内容記述 |
メールヒェンの最後にはいわゆる「結末句」が置かれることが多い。この句の機能をグリムの『子どもと家庭のメールヒェン集』を例にして考察する。他の物語には見られない,この結末句の働きは,語りの終了を告げることで,物語の世界と現実とを明確に区分することにある。結末句の中には,物語られたことの信憑性を否定するようなものも存在するが,これも聞き手を,時間と場所を特定することのできない虚構の世界から現実の世界へと連れ戻すためのものである。またこれには「語り手」の存在も関わっている。元来,メールヒェンは語られるものであり,語り手を必要とする。その語り手に要求されるのは,非現実的な内容を素直に信じ,共感してみせることである。つまりメールヒェンを語る者は,そのような本来の自分ではない者を演じなければならない。物語の信憑性を疑う結末句は,その虚構の役割を演じていた者が,現実の人間へと戻るための仕組みでもある。 |
雑誌書誌ID |
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収録物識別子タイプ |
NCID |
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収録物識別子 |
AN00142578 |
書誌情報 |
千葉商大紀要
巻 42,
号 3,
p. 127-147,
発行日 2004-12-31
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